「ガラパゴス化」した日本特許明細書
2010 年5 月16 日(日)、朝日新聞(朝刊)の社説に「知的財産戦略」に関する記事があった。
知的財産に関する記事が一般誌へ掲載される時代が来たと、素直に喜んでいる。
まだ本質の問題まで踏み込んで議論されていないが、時間の問題であろう。
「日本知財村」のパンドラの箱が開く気配を感じる。
【企業決算:技術を生かす経営革新を】記事より抜粋
経済成長が勢いを増す新興国向けビジネスの成否にかかる。だが日本企業は売れ筋の低価格商品を作るのが苦手だ。そこを克服するには経営の革新を大胆に進めなければならないであろう。
日本企業は独自開発をした製品に機能を次々と加えて高級品を作ることに熱心だが、振興国市場をよく知る韓国企業は、高級品からどんな機能を除けば売れるかという「引き算開発」に長じている。
日本企業に強みは有る。長年にわたる研究開発で生み出した独自の技術の蓄積は大きい
日本企業が特許の大半を握る製品でも、世界的な普及期に入るとアジア企業に押され、日本製のシェアが急落するパターンが繰り返されてきた。
技術の枠は半導体やパネルなど基幹部品に組み込まれるようになり、これらを買えば世界中どこで組み立てても品質にほとんど差が無くなってきた。
アジア企業が特許料を払っても優位にたてる。同様の現象は太陽光発電など環境分野にも見られ、電気自動車でも起きるのではないかと警戒される。
巻き返すには、技術を買い叩かれないための工夫を凝らす必要がある。
勝負どころの技術を特許や契約で守りつつ、世界市場で売る製品の開発戦略を磨いて欲しい。知的財産戦略を軸に、儲かるビジネスモデルを再構築する時だ。
いちいちご尤もなことである。自分なりに意見を加えて見た
日本人は新興国への転勤は嫌がる。従って新興国のニーズを汲みと入れない
日本企業は従来型の開発コンセプトに囚われ過ぎ。開発コンセプトのダウンサイジング化を嫌がる
新興国の発展スピードに追いつけない。開発費用の回収が出来ず日本企業は金欠状態にある
組織優先の体質が現状維持を望む。社員は大きなリスクを嫌う
技術はデジタル化、ソフト化へシフトされるから、この流れは止められない
海外で通用しない「日本的特許権利書」が諸悪の根源である
世界で通用する(戦える)、グロ-バル特許明細書を作成するしかない
知財は「共生」と「戦争」の両面を持つ。「管理知財」から「経営知財」への転換期にある
【能書き】
発明技術の明快な開示は、世界の特許理念に従うと言うだけでなく、その発明技術を他者へ販売する(技術ライセンスする)ためには必須の要件である。読んで理解が出来ない発明を買う人はまず居ない。「私の発明技術を使ってビジネスをしませんか?」この呼び掛けが知的財産権の活用で、「知財の共生」である。
つまり、発明技術をビジネスで活用して金儲けをするための事業計画書の性格を持つ。また事業を進めて行く上での発明技術の使用権利範囲を決めた契約書にもなっている。
一方で、特許侵害等の争いになった場合に、裁判官や陪審員の方に誤解なく理解して貰うためにも不可欠の要件といえる。これが知的財産権の保護で、「知財(IP)戦争」である。つまり「IP戦争」とは言語の戦いである。(矢間伸次)
世界で通用する特許明細書(仕様書)を作ろう
弊社内の「知的財産活用研究所」は、日本から海外へ、特に米国と中国へ出願されている特許明細書(仕様書)の品質が極めて低い(合っていない)という現状分析から、「世界で通用する特許明細書(仕様書)を作ろう」という啓蒙活動を続けている(10年以上は経つ)。
この啓蒙活動の一環として、2007年4月に、「英文特許仕様書(明細書)作成改善マニュアル」と題して、日本から米国へ特許出願・取得されている英文特許明細書(仕様書)の現状と問題点、問題の根源分析とその改善策をまとめ、我々と問題意識を共有される方々へ提供してきた。
◆他言語と互換性の取れたオープンな日本語で文章を書こう
同時に、上掲のスローガンを実現させるためには、その土台となる日本語文章での表現力向上が不可欠であると考え、世界の主要言語、例えば英語と互換性(変換できる)のある日本語文章で書こう、と提唱してきた。これは、世界の共通(普遍)事項、特に技術事項の記述を、英語や中国語など世界の主言語に容易に転換できる、明確かつ「オープン」な日本語文章で記述しようというものである。
◆互換性のある文章の重要性
ハードウエアおよびソフトウエア技術に基づく製品は、周知のように、他の製品と「互換性」がとられていなければ市場で栄えることはできない。
文書の世界においても、そこで記述されている知恵や技術を世界の中で流通させるためには、できるだけ互換性のとれたものでなければならない。他言語と互換性のある、すなわちオープンな日本語で記述するスタイルを確立していくことは、これからの日本にとって極めて大きな課題であると、我々は確信をしている。
「知的財産化」とは、発明、商品、ノウハウと言った「知的資産」を「文書化」して知的資産を「共有」し「伝承」させる手段である。
◆特許理念としての発明技術の開示義務
特許は、特許権という独占権を得る代わりに、発明技術は分かりやすく「開示」しなければならないとされている。これは世界で共通の「特許理念」となっている。従って、特許権取得のための「請求項」(クレーム)以外の明細書(仕様書)の記述は、この理念に沿うものでなければならない。特許明細書は発明(技術)の説明書であり「請求項」を除けば法律で規制された文章ではない。開示したくない技術は特許出願をしなければ良い。
◆発明技術のライセンスと紛争への対処
更に、発明技術の明快な開示は、理念に従うというだけでなく、その発明技術を他者に販売する(技術ライセンスする)ためには必須の要件である。読んで理解ができない発明を買う人は、まず居ない。「私の発明技術を使ってビジネスをしませんか?」この呼び掛けが知的財産権の活用で「知財の共生」である。
一方、特許侵害等の争いになった場合には、裁判官や陪審員(*)を味方(誤解が無く理解して頂く)につけるためにも不可欠の要件と言える。これが、知的財産権の保護で「知財(IP)戦争」である。つまり「IP戦争」とは言語の戦いである。知的財産権は、活用と保護を目的とする二つの面を持っている。
(*)既に、17年ほど前とは様変わりして、米国では特許関係の裁判の80%近くは陪審員制の下でわれている。陪審員は、通常、特許(技術)に関しては素人であることに留意すれば、彼らの理解を得られるように、できるだけわかりやすく特許明細書(仕様書)を記述しておく重要性は理解できる筈だ。
◆技術情報源としての特許明細書
更に、開示された発明技術は、研究開発の上で重要な技術情報でもある。研究開発を重複させないためにも、あるいは先行技術の更に上を行くためにも、開示された情報を知ることは重要である。それにも拘わらず、日本の特許明細書を理解することは困難である(*)。
(*)幾度も読み返しても意味不明、疲れる文章は誰もが嫌う。当業者とは一体、誰なのか(?)
◆ 明快な発明仕様書を作成するためには、大きく2つの要件を満たす必要がある
文書全体の記述構成が論理的な展開(流れ)になっているか(?)論理的な流れとは、例えば、大枠から細部へ、構成要素全体から各要素へ、抽象的概念から具体的説明へと(*1~3)。
(*1)【文書の全体構成は、理念から主題展開へ】→主題概要から詳細展開へ、事実把握から問題点の摘出へ、問題点の明確化からその対策案へ、対策案からその具体的展開方法へ
(*2)【部分の中の展開は、大枠から各構成要素へ】→主事項から従事項へ、一般事項から具体事項へ
(*3)【文章の中の展開は、重要事項から枝葉末節へ】→一般名称から具体名称へ、一般動作から具体動作へ、一般関係から具体関係へ
文章そのものが明快に書かれているか:文章を読むだけで事実関係が把握でき、誤解を生まないシンプルな文章になっているか(*)。例えば、論理的な流れに混乱があると、欧米社会では稚拙な文書とみなされ、不利益を蒙る元になる。
(*)日本人が読めば、なんとか理解できる文章でも、例えば、主語がなければそのままでは外国語への翻訳はできない。「主語は翻訳者が考えて下さい!」これは無責任である。また、言語としての日本語の観点から、例えば、テニオハの使い方の誤りなどを正す必要がある。
◆ガラパコス化した日本の特許明細書
日本の特許明細書がなぜ世界で通用しないのか、その原因が判ってきた。
日本の特許システムは「特許は、お上から授かる」ものである。それが証拠に(?)「特許出願書」と、なっている。世界の特許システムは、「発明者からの特許届書を確認する」、と言う認識であろう。発明者は自分の発明を特許へ仕立てる自己責任を負わされていると考えた方がわかり易い。特許明細書の「文書」としての説得力が違う。
日本の特許明細書は、発明の中心限定主義である。特許明細書とクレームに書かれていない事項はそのつど、解釈すれば良いという極めて日本的な文書となっている(*)。
欧米の特許明細書は、周辺限定の囲い込みである。即ち特許明細書に書かれていない事項はすべてアウトとなる。欧米型の特許明細書は、発明技術をビジネス面で活用して金儲けをするための事業計画書の性格を持つ。また事業を進めるうえでの発明技術の使用範囲を決めた契約書にもなっている。
(*)例えば、日本語で「大きな桜の木がある」と表現する。読み手側は勝手に「大きさ」を推測する柔軟性がある。しかし欧米では木の幹の太さは、木の高さは、枝廻りの大きさは、と言った事象を具体的に示す必要がある。
このような欧米型の特許明細書を書けるプロの書き手は、まだ少ない、と言わざるを得ない。逆に欧米型の特許明細書を書くプロの書き手は異端とされ、排除される可能性すらあるかもしれない。
私の独断と偏見かもしれないが、日本の特許制度は、「単項制」を採用してきた歴史がある。今日では欧米と合わせる必要から日本国も「多項制」を採用したが、「単項性」の名残がいまだに尾を引いていると思う。「単項制」に慣れた書き手の多くは、欧米人(中国人も)の思考から必然的に生まれた「多項制」の本質を完全に理解しているとは思えない。このことが「日本特許明細書」が世界の中で通用しない原因の一つではなかろうか(?)。
◆日本の特許を外国へ技術移転してライセンス料を貰うことは困難
個々の文章表現の酷さも有るが、それ以前の問題として文書(仕様書)の構成、論理展開(ストリーの流れ)が違うことは前に述べたとおりである。発明技術の活用(売り込み)を願うならば「文書」に落とし込むところで更に、その発明の価値を高める必要がある(*)。
命を削るほど真剣に特許明細書を書く人は少ないと思うが、発明を生み出した苦労に酬いるためには、それ相当のエネルギーをかけて「文書化」するのは当然であろう。
世界でビジネスを進めて行く上では欧米型の特許明細書に合わせるしかない。日本特許明細書を、そのまま翻訳して外国へ出願したところで世界の人からの理解は得られない。
つまり適切なライセンス料がもらえない、という図式となる。また特許係争になっても戦うにも戦えないのである。
(*)例えば1億円の価値の有る発明技術を「文書」で一億円以上の価値のある発明技術へブラシアップする書き手(パテントライター)が必要である。書き手は発明者から「アレコレ」と聞きだし、発明者は喋るだけ、この繰り返しが「広くて深みのある、強い特許明細書」を作成する基本作業と考える。
◆文章で説得する海外特許明細書
日本の言語は描写文(叙情的)であり、他国(欧米中国等)は命題文(論理的)である。世界の常識(大多数を占めている事実)から言えば、発明(技術)の説明は言語で、図面は補足手段である。日本は、その逆で図面が主役、言語は補足手段となっている。
日本特許明細書は「権利は主張せず、精密な図面は最高の技術参考資料」である、と中国では高い評価を得ている(?)。
絵や図面中心の日本の表現文化が人気アニメやキャラクターを生み出す土壌になっていることは確かである。この日本文化は守っていく必要がある。味気の無い、きつい言語であるグロ-バル言語(英語)は日本人には合わない(*)。
しかし「グローバル特許」の世界では言語、つまり「文書化」して勝負するしかない。となれば海外へ出す特許明細書の書き手は「プロ」として海外の人から理解が得られる文書を作成する能力が強く求められる。文書は論理的に構成され、表現は明確な文章で書く必要がある。
(*)日本人の全てがグローバル言語を使う必要は無い。ただ、グローバル言語の思考論理は理解する必要はある。日本人同志のコミュニケーションは柔軟な日本語で、外国人とコミュニケーションを取る時は彼らの論理思考に合わせるしかない。残念ながら日本語はグロ-バル言語ではない。
◆結論
論理的に展開し構成された欧米型の「文書」を作成することは急には出来ない。しかし、平明でわかり易い「文章」を書くことは、直ぐにもできる。平明でわかり易い文章とは他言語へ変換できる日本語表現のことである(翻訳ソフトが使える)。
平明でわかり易い文章であれば誤訳は少なくなり、翻訳者の人数は格段と増える筈だ。海外出願をする発明特許は他言語へ変換できる日本語を意識して書くべきである。
それが「プロ」の仕事であり、翻訳者への心使い、マナーでもある(以上)。
おまけ:
日本企業は、アナログ技術からデジタル技術ヘ、ハードからソフト化へシフトきました
IT技術の究極は「クラウド」の世界です。この「クラウド世界」のIT技術は米国が早くから取得しています。いま米国のパテント・ホールディング会社は日本企業が「クラウド世界」まで辿り付くのを、雲の中でひたすら待っています。多くの日本企業は、イチャモンを付けられてお金を巻上げられることになるでしょう。「クラウド世界」へ辿り付くまでは日本企業はこれまでの努力が報われて利益も出るでしょう。そのうちイチャモンを付けられ賠償金、和解金、ロイヤリティーの支払いで日本企業は働けど働けど儲かることはならんでしょう。「チヤリーン」というヤクザのショバ代システムで拝金主義者に搾取される。一方ではアジア企業からは技術を安く買い叩かれ、(買い叩かれるのは、まだマシ?払わない奴もいる)膨大な開発費の回収が出来ないスピードに混乱をしている状態である。日本企業は攻める目標が明確なときは強い、しかし攻められる立場になると、途端に弱くなる。この状態から早く脱皮する必要があります・・そのためにはどうすべきか?